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都クリニックでは、以下のような『強い意志』を持たれているドクターを募集しております。

・ドクターとしての技術を高めたい
・歯科医院経営者として経営を学びたい
・最先端の治療や人脈に触れたい

なぜ、当院ではこのようなことができるのか、そのバックボーンを踏まえながらお話ししていきたいと思います。

Dr.クリスターソン(インプラントの神様)をスウェーデンより都クリニックに招聘し、サイナスリフトの難症例の手術風景

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京都大学

京大病院

口腔外科医 鎌田泰道のバックボーン

九州歯科大学学生当時、口腔外科は第1外科と第2外科に分かれており総勢30名以上が在籍していました。この中で1人だけ飛び抜けて水平埋伏歯抜歯が上手な先生がおり、かなりの難症例でもこのDrだけはほぼ30分以内できれいなオペを繰り返していました。学生の間でもかなり評判の有名な先生でした。


大学6年生夏休みの就職活動で京都大学口腔外科に見学で伺いました。ここの外科外来で信じられない光景を目にし、これが最大のカルチャーショックとなりました。わずか2年目のドクターが母校の一番上手なDrよりはるかに早く正確な埋伏歯抜歯を行っていたのです。


この理由を当時の京大口腔外科外来の筆頭助手に伺うと、「臨床はやはり症例数と技術が比例していく。京大のネームバリューがあるため、一般歯学部の外科外来に来る症例数の何十倍もの患者さんが日本中から集まるから、自然にみんな上手になる」との事でした。筆頭助手、講師クラスのDrになると文字通り神業のような技術の持ち主ばかりでした。


「この中でトップになれば、間違いなく日本のトップになれる」と確信に至りました。そこで大学卒業後「京大病院口腔外科」に就職しました。そこからが本当の修行時代で、助手や講師、助教授、教授に至るまで全ての上司にお願いして、初診の外科症例をほぼ全て譲っていただき、自分1人で同期Drの4〜5倍の手術をこなしました。当時私は週平均20症例を超えるオペを繰り返し技術を磨きました


結果、わずか2年目に埋伏歯抜歯1000症例を超えることができました。それからは症例数を数えるのはやめました。(笑)これらは全て自分のためにしたことであり、「偉くなろう」とか「有名になろう」と思ってやったことではありませんでした。しかし、不思議と上層部の目に留まったようで、通常半年ほどで赴任先病院に出向くところ、2学年下のドクターが半分ほど赴任するところまで大学に残され、後輩の外科手術指導担当となってしまいました。入局直後の若手医師が3年3ヶ月在籍した記録は未だに破れていないそうです。


その後、上層部の間でこのまま鎌田を大学で上に上げていこうと言う話が進み始めたのですが、臨床を希望する私は直接教授に直訴いたしました。「全国に40以上ある非常に臨床色の強い(私たちは野戦病院と言う言葉で呼んでいました)朝から晩まで外科手術ばかりしているような忙しい病院を希望する、このまま大学に残るのであれば辞めたい」、と。


結果、滋賀県の市立長浜病院の口腔外科部長にわずか27歳で抜擢。(当時100人抜き大昇進と言われました。)しかも、毎週、飯塚名誉教授がアルバイトで来院しており、直接手取り足取り難易度の高い手術を教えてもらう幸運を得たのです。まるで乾いた砂浜に水が染み込むようにありとあらゆるオペ技術をわずか1〜2年の間に吸収し、全国でもダントツの患者数と手術件数を誇ることとなりました。すべてのテクニックを伝授したDrは名誉教授の生涯でただ一人だそうです。


あっという間に名前が売れ、朝の4時ごろから患者さんが外来の廊下で仮眠を取り順番待ちをするような状態に。当時、名古屋タイムズが発刊した「名医がかかりたい名医」と言う本の取材を受け最年少で掲載が決まりました。ただし業務は、午前は外来初診が平均30名、再診80名ほどの診察を済ませた後、週2日の外来オペと週2日の全身麻酔オペ、常時入院患者は10人ほどと言う殺人的な仕事量となってしまいましたが・・・。

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インプラントと再生医療

京大関連病院赴任中はインプラントの手術はしていません。これは後々のメインテナンスを後任の外科部長に委ねることになり、責任を人に押し付けることが苦手な私は一切インプラントには手をつける事は致しませんでした。開業後、若い先生たちがインプラントの習得を強く希望することが多くなり、遅ればせながらゼロから勉強を始めたのです。ただし、口腔外科の第一線で長年手術ばかりしてきた立場上、どうせするなら世界の最高峰になりたいと言う目標を持ちました。


そこで、京大でインプラントを立ち上げた坪井先生などに相談した結果、サイナスリフトを含む最高レベルの再生医療を取り入れることになりました。


具体的には、OSIと言う再生医療を含む非常に高度な技術集団の学習を繰り返す組織に入り、そこの創設者である原先生のご指導を賜りました。また、難易度が極端に高いサイナスリフト(上顎洞が壁によって2室に分かれていました)では、通称「インプラントの神様」の異名を持つスウェーデンのクリスターソン先生を都クリニックに招聘し、直接手取り足取りご指導いただく幸運を得ました。


インプラント導入当初の再生医療部分は、名古屋大学口腔外科か京都大学口腔外科に依頼して全身麻酔下の腸骨からの自家骨移植を施行していました。現在は、バイオオスを使った人工骨造成による私単独局所麻酔での手術を行っています。患者さんにとって、金銭的にも肉体的にも非常に楽な方法で再生医療を日々繰り返しています。(直近のサイナスリフトの手術時間は40分程度です。)


ちなみにデータ上では自家骨移植も人工骨移植も全く同程度の骨再生が可能なことが証明されています。


ただし、人工骨は異物であるが故、私たちの技術が非常にシビアに問われ、正直言って自家骨移植がどれほど楽だったか身に染みたのも事実です。幸い点滴など日常茶飯事だったこともあり難症例では普段から点滴を組み合わせています。


これは素直な感想ですが、長年救急病院で交通事故などの骨折を含む大掛かりな外傷の手術などを中心に繰り返して普段ICUにいることが普通であった自分にとって、現在のサイナスリフトを含むインプラントオぺ等は本当に楽に感じてしまいます。

初診時Panorama

左上6番7番インプラント希望

上顎洞底まで骨の厚みは約1mm~2mm

IMP初期固定不可能なためSinus Lift単独Ope(人工骨にBioOss使用)後9か月待ってIMP1次Ope(2回法)施行と診断

Sinus Lift単独Ope(人工骨にBioOss使用)直後のPanorama

高さ20mm近い骨が形成出来ている

Sinus Lift単独Ope(人工骨にBioOss使用)後9か月

Astra IMP 1次Ope時Panorama

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都クリニック入口

都クリニック治療室

歯科医院経営について

全国第一線の国公立口腔外科赴任先病院で常に大勢の患者さんで埋まっていた状態を見ているボス(京都大学医学部名誉教授飯塚先生)には、「開業は自分が退官する頃まで伸ばして40歳位まで手伝ってくれ、どのみち成功するに決まっている」と言われていたので、本当に40歳までのんびりと国公立病院で手術に携わっていました。


地縁のない状態でしたが、岐阜で開業をしました。医院経営は順調に進み、初めから患者さんで溢れ、3年を待たずして法人化となりました。ですが、早々に年商1億を軽く超え始めたため、さすがに経営の勉強をしたことがない自分の限界を感じ始めました。


ここまで巨大化した組織を単なるクラフトマンでしかない1口腔外科医が切り盛りすることが不可能な状況となり、一流の財界人や政界人に相談したところ、1つの明確な答えが見え始めました。


それは周りに自分を超えるブレインを大勢集め、(お金に詳しい人、人事に詳しい人、コンピューターに詳しい人、厚生省などの医療情報に詳しい人、etc) 一流人の能力を集結して経営に当たることです。


具体的にはベストセラー作家である和仁先生を経営コンサルタントとして招き、彼の人脈を使って一流の外部スタッフ(外部重役と呼んでいます)を揃えました。


たとえ自分の給料を割いてでも、こうした人材を揃えることで結果として病院はますますその組織を拡大することとなりました。(具体的には年商が毎年1000万つづ増加しました。)


一言で言うと経営戦略とは人材集めと情報集めに尽きるかと思います。気がつくと自分1人でなんとかしようと思う時代はとっくに終わっていました。

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RAMPA 三谷先生と

RAMPA勉強会

最先端治療へのアプローチと人脈

開業後気がついた事ですが、口腔外科に極端に偏り、経営や一般歯科治療の勉強不足が厭が上にも自分に突きつけられる現実となりました。目の前の現実は、大勢の患者さんと大勢のスタッフとに囲まれ、どんどん責任が重くなり、お金の流れもどんどん膨らんでいきました。


この状況を打破すべくとった戦略は、セミナー漬けと言っていいほどの勉強に明け暮れる年月を送ることでした。


特に最先端の治療や経営セミナーへ足繁く通い、歯周内科生田セミナーでの生田先生との出会い、歯周内科福重セミナーでの福重先生との出会い、OSIの原先生との出会い、RAMPA での三谷先生との出会いなど、全国第一線一流の先生方との出会いがありました。それがセミナーの勉強を上回る成果をもたらしました。


一言で言うと一流人との交流により、大きな大きな20年先までを見つめた正しい情報の流れにどっぷりと身を浸かることになったのです。もちろん人脈は勉強だけにとどまることを知らなかったのです。


お金、人事といった経営に不可欠な情報に詳しい和仁先生を始めとした多方面の第一線の友人たちとの交流こそが、経営を成功に導く最も重要なキーとなりました。こうした人脈は一朝一夕で築きあげれるはずもなく、長年にわたり誠実な努力を続けない限りとても不可能かと思います。


1つ気がついたのですが一流と言われる人たちは、いずれも非常に腰が低く誠実で興味の範囲が信じれないほど広く、さらに人の話を本当によく聞くと感じました。


こうした人脈こそが私たちを成功に導き、大勢の患者さんやスタッフを幸せに導く最大のポイントかと思います。

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都クリニック

岐阜県各務原市 鵜沼羽場町5-52

TEL 058-385-4838

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